雨乞い山
早い梅雨明けとともにここ半月ばかり35℃の熱帯夜が続く。喉が渇く、庭の草花も毎日水をやらないと萎れてしまう。「水が欲しい」という思いは農家の切実な願いであっただろうと想像する。江戸時代吉敷川の村境で水争いが起こり、吉木村・矢原村を挙げての争いになったこともある。「我田引水」という言葉もあるように、水が不足するところでは頻繁に水争いを起こしていた。岩富の田中家の百年間の「吉凶記録」には、水損(水害)や旱魃の様子を克明に記録している。日照りの旱魃が人間の努力ではどうしても対応出来ないとき、雨乞いが行われた。雨乞いは推古三年(595)に、官営で高麗の僧に行わせたとの記録もあり、雨乞い踊り、高野山の火を持ち帰り神社に灯したり、池に竜神を祀り降雨を願う方法で行われた。願いが叶うと石灯籠や絵馬、植木の寄進、競馬や能、踊りが奉納された。
「吉敷宰判絵図中下郷」には、現在マイクロウエーブの鉄塔の立つ禅定寺山を「雨乞山」と表記している。各地に雨乞山、雨乞岳、竜王山と呼ばれる山があるが、大抵山頂で薪を集めて火を焚き鉦や太鼓で囃し、松明行列、神前の献火が行われた。(2004年7月15日)