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今夜の番組チェック

道男の随筆

阿仙原の春

 今日は「啓蟄」、旧暦では二月四日。暦の上では春になったが,暖かい晴天が少し続いたが、また元の寒い冬に逆戻りした。
寒冷前線が四国沖に張り出してきて、部屋温度は4℃ボタン雪が舞う。阿仙原で焚き火をして暖を取る。
焚き火が恋しいのか、片付けた雑木の中の虫を捜しているのか「ウグイス」が近くに来て焚き火の周りを回っている。
まだ鳴けない「笹鳴き」で、「お前はスズメか?」と声をかけるが、まだ「チエッ・チエッツ」としか鳴けない。
梅を「春告花」、コブシが「春告木」で、ウグイスの異名を「春告鳥」という。
その鳴き声から「経読む鳥」「歌詠鳥」「人来鳥」などの異名がある。
 暫く前には、岩肌から落ちる水につららが下がって氷の芸術を楽しんでいたが、もう春は間近いとの感じで、
ウグイスの木の枝を飛び交う「谷渡り」の音色が待たれる。
生憎の荒天で手はかじかむし、鼻汁や、「くっさめ」もでてくる。しかし周りは木や草が芽を出し始めて「木芽時」を迎えている。
「ミツマタ」の苗木を森林組合を通じてく久留米から取り寄せ植え付けているが、ここにも「芽生」が見られ、
枝の先に小さな「芽ぐみ」が出ている。やがて「芽ばる」時期を迎え、全体から「芽吹く」時期を迎え山は堂々と「萌える」春となる。



ここまで読んで頂いてありがとうございます。ご感想をかきこんでいただけるとしあわせます。








大歳のあゆみ発刊 1

帰郷して間もなくのことであった。大歳史談会の堰き光寿さんと藤井晃さんが拙宅を訪れ
「地区史の編纂が始まろうとしている力を貸してほしい」とのことであった。
元大歳公民館長であった蔵成秋次さんが「小金市誌」に携わったことを知っていて、誘い出しの声が掛かったようである。
こうして私は大歳史談会のメンバーに加えてもらった。高校までは大歳で育ったが、その後四十年の空白がある。
先輩の後に付いて調査に参加したり、図書館や歴史民族資料館で裏づけや写真を撮ったり、毎週行われる編集会議や個文書解読の勉強会に
参加しながら、郷土の歴史に興味を持ち始めた。「大歳公民館だより」が毎月発刊され、その一ページを史談会が受け持つ。「大歳の今昔」「大歳あれこれ」を掲載して
百号を超えたが、この原稿は大抵皆で検討して、私がコンピューターに入力する。
この編集の作業が大変勉強になった。編集の技術や表現の仕方で読みやすくなったり、肩がこって読んで貰えなかったりする。
先ず小学校四年生以上の人には読んで理解して貰わなければならない。常用漢字以外は使えない。

「古い用語は使わないで」とお叱りをうける。「写真や図面で親しみ易く、分かりやすい言葉で、専門的にならず、庶民の視点で」と心掛けながら編集を続けた



大歳のあゆみ発刊 2

 
 平成十一年に大歳自治振興会で「地区史の編纂」方針が決まり、史談会が制作を受け持つことになった。
私は写真撮影を担当することになって初めてデジタル写真機を買った。六百万画素という業界初のもので
、六・六倍ズーム起動も速く使い勝手が良い。薄いメディアに何枚でも写せ、その場で見ることができる。
ブレたり不要なものはすぐ消してまた使える

フィルムカメラに慣れていた私には驚きであった。バイクに乗って大歳の隅々まで足を伸ばし、カメラに収めた。
「大歳小百年史」に使われた古い写真を接写してデジタル化した。
 原稿は会員が分担で執筆し、遅々として進まなかったが、何度か書き直しを命じられてようやく430ページ分の原稿が出来てきた。印刷を引き受けて頂いた嶋村印刷の嶋村竹一社長にお願いして原稿を全て入力し、校正済みのフロッピーを渡し、その代わりにカラー印刷にして貰うことにした。カラーにすれば、輪転機を四度回さなければならない。経費を節減して親し易い本にした。
 こうして、四年越しの編纂事業は昨年末に完結した。「郷土大歳のあゆみ」は二千部発行し、自治振興会の補助で一千円で販売されることになった。地球観測衛星から撮影した大歳の姿は自慢できそう。引き伸ばして大歳公民館に飾ってある。