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高島北海

 岩富の山下玄良医師には三人の息子がいた。それぞれ、藩医師、芸術家として近代史に名を残している。長男・高島北海は、長門峡を世界に紹介した人。また日本画の巨匠として、矢原の兼重暗香と共に明治の画壇を引っ張った人である。

 高島北海(1850〜1931)は明治十八年(」1855)フランスの東部の町ナンシー市の森林学校に留学している。今その町は二百五十年前の姿を留め世界遺産に登録されている。

 「萩まちじゅう博物館」構想で萩から参考にしたいと市民号が出発した。北海はその町で測量術や数学、法律など山林を管理するための行政や技術を学んだ。帰国した北海は、農商務省山林局の役人として地質学の分野でも活躍。五十歳で退職して絵の制作に打ち込む傍ら、役人時代に視察した景勝地の紹介や観光開発に力を入れた。ユネスコで世界遺産の保存に尽力した。

 長門峡には「高島洞門」と「北海洞門」が遊歩道の途中にある。入口の石碑に「大正九年八月萩出身ノ画伯高島北海阿武川ノ上流ヲ探リ其ノ景勝ヲ激賞シ長門峡ト命名セリ・・・高島氏ハ画会ヲ設ケ得ル金ヲ通路開通の資金ト為ス」と刻まれている。(2004年11月18日)



長門峡情報(川上村)

長門峡情報(阿東町)


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