オリンピック@
「前畑がんばれ、前畑がんばれ、勝った、勝った。」との35年前の興奮を伝えるアナウンスを思い出しながら、私はベルリンの屋外水泳場から水面を見下ろしていた。もうこの水泳場も取り壊されて無い。第11回ベルリンオリンピックは1936年開催。この中に大歳・朝田神社西の松村昶子さんもいた。松村さんは、昭和2年大歳小学校に入学、椹野川の八光面で泳ぎを覚え、やがて山口高女(現中央高校)に入学、大歳出身の佐伯、溝部さんと共に水泳部の三羽烏として活躍。神宮プールで行われた最終予選で、百メートル自由形1分17秒で晴れの日本代表10名の選手に選ばれた。
関釜連絡船で大陸に渡りシベリア鉄道経由でベルリン入りしたが、予選落ちとなった。また田島直人さんが三段跳びで優勝。田島さんは旧制山口高校から京都大学に進んでいたが、金メダルと共に、副賞の「ドイツ柏」の苗木が京大で育てられ、その二世が山口高校の庭に育っている。マラソンでは孫基禎さんが優勝したが日の丸のマークが消された「日章旗抹消事件」が「東亜日報」で発生した。
優勝者プレートの孫基禎のJAPANの文字は削り取れれたままであった。(2004年8月19日)
オリンピックA
第18回東京オリンピックは1964年(昭和39年)に行なわれた。就職して二年目、聖火リレーの人選、練習で結構忙しかった思い出がある。東京は高速道路の整備、新幹線の整備、国立競技場の建設、プレスセンターとなる日本青年館の改築等、この時から東京は変わり始めた。テレビが我が家に入ったのもこれがきっかけであった。
半年前結婚もして、小金井市の前原町に所帯を構え、初めてオリンピック観戦に出かけた。東洋の魔女と呼ばれた女子バレーボールがソ連を破って金メダル。小さな巨人・重量挙げ三宅義信が金。柔道ではヘーシングに破れ、お家芸がオランダに持って行かれることになった。マラソンでは、アベベが甲州街道を裸足で走って金。棒高跳びの優勝争いが深夜まで続いて、終電が無くなるので最終結果を 観ることができなかった。
その後、甲州街道は高速道路が整備され、調布の関東村の道路の側に、マラソン折り返し点の記念碑がポツンと建っている。IOCのホームページで見ると参加93国、参加選手5151人、種目163種目、日本は、金メダルが16で過去最多。40年前の懐かしい話である。(2004年8月26日)
オリンピックB
アテネオリンピックが始まった。時差が6時間あるので、寝不足が続く。深夜起き出してテレビを見る日が続くと、自然に夕方になると眠くなるという条件反射が身についてしまった。
郷土の選手がどうなるか気になる。柔道の78`級阿武敦子(福江村・金)の朗報がもたらされた。マラソンの油谷繁(長門市・5位)国近友昭(光市・42位)高岡寿成(防府市)。サッカーでは高松大樹(宇部市)、田中達也(周南市)は予選でガーナに破れた。バレーボールは、栗原恵(防府市)が、準々決勝で中国に破れた。レスリングの小幡邦彦(柳井市)予選敗退、セーリングの見城元一(光市・19位)という成績であった。
近代オリンピック発祥のアテネに108年ぶりに戻ってきた。参加202国、参加選手1万1千人で最大規模の大会。テロとドーピングが最大の課題といわれていたが、ミュンヘン大会のようなテロは起きなかったものの、薬物使用で7人が資格停止された。開会式も「海」の趣向をこらし、閉会式は「麦の穂」を持って陽気な、ギリシャの音楽で閉会した。日本も金16、(後17となる)合計37個のメダルで、最多を記録した。(2004年9月2日)
![]()
戻る