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ワサビ栽培
「文ちゃんどこか山葵栽培農家知らないか」と高校の同級生に電話を入れると、「銀行時代の友人が鹿野の奥でやっている。早速電話してみよう。」との即答が帰ってきた。Y君は大変な情報通で、何かと面倒見が良いので、「Y君つながり」が多い。「了解も取れた。早い方が良い」と言うので早速出かけることにした。
秋穂の朝市場に行って鮭半身をブロックで買ってパジェロミニに積み込み、防府右田のY・Sさんの案内で鹿野町に向かった。紅葉は過ぎていたが真っ青な秋空。風は心地良い。米山トンネルを抜ければもう島根県六日市町、そこから林道が延びている。平家ケ岳(1066b)は山口・島根県のチベットで、平家落人伝説もある山に差し掛かる。鹿野上で農業委員をしているという植田忍さんは、畑ワサビを家の周りで育て、「ワサビ漬」を納屋で生産し、道の益やロッジで販売している。シイタケ、周南米、梨、焼豚と並ぶ鹿野のおみやげ品である。島根県側で川ワサビを栽培しているというが、今回は「長野山緑地公園」のキャンプ場を見て廻った。バンガロー、テントサイトが整備され、シャワーハウス、炊事棟が並ぶ町営本格的キャンプ場だる。帰りにワサビ一年生の苗20本を買い求め、阿仙原の芋畑の清流に植えつけた。
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「里山」という言葉がいつごろから使われるようになったか定かでないが、いま開発を進めている阿仙原もかっては里山であった。里山は昔から蒔きや柴をとったり、墨を焼いたり、落ち葉をかき集めて堆肥にしたり、葉のついた枝や低木を伐って刈敷にしたり山菜を採ったりしながら繰り返し人間に利用されてきた。雑木林といったり、割木林といったり、マツ山が里山の風景として馴染んでいた。阿仙原には学校林もあって多くの生徒が中刈に登ってきて当時を覚えている人も多い。松茸を沢山採った人やわらびゼンマイ採りに登った人も思い出の中に残っている。その里山が消滅して40年が経ち、光の届かない鬱蒼とした竹林や杉林となって、訪ねる人も途絶えていた。思いきった間伐で地面に一斉に植物が生えてきた。その雑草を片付けながら、伐り出した臓器にヒラテケ菌を植えて人工シメジを始めた。「信州シメジ」の名前で市販されている茸は、ヒラタケ菌を植え付けて育てる。殆どの雑木が使えるようであるので早速菌を買って試みることにした。直径10a以上の太い原木を15aほどに玉切りにして植えつける。原木の切り口に種菌をばらまき重ねていく。菌糸の発達は24℃から28℃が最適で、渇きすぎは禁物のようである。来年の秋には収穫が楽しみである。
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ヤーコン栽培
「ヤーコンの菓子の試作品が出来たよ。ちょっと寄ってみないか」と吉敷の多々良農園主・多々良孝一さんに声をかけられた。彼は滝山の「緑山会」の古くからの仲間で、職業柄、植物のことについては誠に詳しい。現職・竹炭生産者。市の姉妹都市であるスペインのパンプロ‐ナの派遣団長となったり、文化活動も大変力を入れている人で人生の先達として親交頂いている。 昨年「ヤーコン」の種芋を少し頂いて植えてみた。畑に青々と茂って、収穫も上々で、かじると梨のような甘い味がする。芋はサツマイモに似ているが、オリゴ糖が多く含まれており、便秘に良い。飴の原料としても使える。ちょうどポテトチップのように揚げてお菓子にすると甘くてカリカイして食感も良い、最後のレンコンの天ぷらを食した時の繊維質の残滓が残るがこれも好みによろう。「この試作品を料理教室開いて広めたい」と意欲的で、来月には商店に並べるという。種芋を少し分けて貰って、阿仙原の棚田に植えつけた。猪に荒らされなければ、元々アンデスの山中の芋であるから高冷地でも育つであろう。友人にも分けて育てて貰うことにした。協同して大量に生産できれば、製菓会社も飴の原料として買ってくれるという。林農参入者の新しいチャレンジだ。
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ハタケシメジ
山口県林業指導センターが99年開発したハタケシメジの新品種を農林水産省が品種登録したと新聞が報道した。早速インターネットで調べて見ると従来種と比べて栽培が容易で、ハウスであれば新たな設備投資を必要としないで栽培できる。
ハタケシメジは「香りマツタケ、味シメジ」といわれるホンシメジと同じシメジ連シメジ属に属するキノコで、一般的に「シメジ」として流通する「ブナシメジ」よりホンシメジに近いという。
アルギニンやビタミンB1などを多く含むことから、健康食品としても注目を集めている。
従来のハタケシメジは瓶の中に菌床や特殊堆肥を詰めて生産する。昨年はシメジ菌をトロ箱に詰めて栽培してみたが乾燥して失敗であった。瓶の底に水が溜まるのを防ぐために周りを高湿度に保って水分を補給する方法がとられる。高湿度にするための施設が必要であるが、センターの開発したハタケシメジはハウス内のプランターに菌床と畑の土を入れ上から水をかけるだけで育つという。これまでの研究では二、五キロの菌床から六百グラム程度のシメジが育つという。
プランターに二つずつしか菌床を入れることが出来ず大量生産は難しいようだ。早速仁保農協に行って菌を掛け合ったが、来年一月まで待って欲しいとのこと。早速注文だけを頼んできた。(平成15年11月27日)
ここ十日ばかり選挙の手伝いで山の整備も手付かずだった。そこで知り合った後援会連合会長の伊藤健生さんが、吉敷畑に養殖場を経営しているというので早速見に行った。
吉敷畑に上がる旧道に沿って養殖場はある。西鳳便山から流れ出す清流を利用して何槽かの池にはヤマメや鮎、鯉が悠々と泳いでいる。餌をやると水槽が盛り上がるほどに寄ってくる。場長の篠田さんは、話好きで山の生活の語り部でもある。毒へびの処理方法、狸寝入りの話、熊の撃退方法、狐の恩返し、鮎の生態、ヤマメの育て方,直接体験した話であるから迫力がある。
魚は生き物、病気や水温風雨の時の夜回りなど苦労は尽きないようであるが、本人は苦にならないほどの熱の入れようで、益々興味がそそられる。趣味の範囲を超えているが、老後の生き甲斐、多少の副収入を見込んで里山の開発としても養殖をやりたいという気持ちになってきた。
吉敷の中尾にも越智さんという友人が休耕田を再生し養魚場を作り里山開発に取り組んでいる。この人の経験も借りたいものだ。
水槽工事の概算を弾き出してもらったら五百万円以上にかかる模様。また、ひとつ阿仙原川に釣り場を作る夢が膨らんだ。弟子入りして少し勉強してみよう。
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三椏・三又。和紙の原料として「防長の四白」といわれ、米、塩、蝋と並ぶ山口県の重要産業であった。今ではそれほど重視されないが明治維新では、五人の密留学生をイギリスに留学させたり、鉄砲を買う裏金として財政を支えた。
ジンチョウゲ科・ミツマタ属で、樹高は二〜三b。毎年3〜4月に黄色い花を咲かせる。赤い花を咲かせるアカバナミツマタもあって華材に良く使われる。枝が必ず三本に分かれて出るので三又ともいう。元々中国原産で日本には室町時代に渡来し、繊維植物として各地に広がった、やや暖地性で中国・四国地方で多く栽培されている。
「和紙原料」とのみ名刺にある斉藤安利さんと知り合いになって、美東町・大田の農家を訪ねた。家の周りに三椏を育て、納屋には乾燥場や茹で釜を設置し、精製された和紙原料のインゴットが高く積まれている。財務省が買い上げて日本の紙幣に漉かれて世界に流通する。中国の青島に向上を持ち、日中貿易にまで発展させている。機械も自ら設計して特許を取得して、久々に高杉晋作を偲ばせる平成の風雲児を見る思いがした。本人は「プラグマチスト(実用主義者)」で夢は語らないというが、「維新回天の大きな夢」を持った防長人である。私は三椏を実生から育てようと再訪を約して辞去した。( 2003年4月17日)