[PR]テレビ番組表
今夜の番組チェック

横田基地

 日米両政府の在日米軍再編成協議で米軍横田基地を管轄する航空管制業務(横田ラブコン)を日本側に返還する方向で最終調整に入ったと報じた。
 横田基地は福生市の加美平団地に住んでいた十一年間に毎週通った思い出がある。空軍の技術将校のメリットさん家族に英語を教わった。彼は英語しか話さないが奥さんは日本人、私は何とか英語で囲碁のルールを教える。将来日米囲碁大会を彼の出身地ワシントン州タコマで開こうと辞書を片手に一生懸命教えた。その後中学生の海外派遣候補地探しにタコマを訪問したことがあったが会うことはできなかった。今は軍を引退してコンピューター会社でもやっているのではないかと思う。横田基地は広大な武蔵野台地に開かれ旧日本軍の基地として造られ、周囲を車で回っても優に30分はかかる広さである。将校クラブで買い物をしたり、航空ショーにも出かけた。府中市の米第五空軍司令部は、現在航空自衛隊の航空司令部になっているがこれを横田に移し、日米が共同使用するという。こちらの退役軍人・故ワーナーさんも思い出深い人で、南部訛りの英語を教わった。(2005年7月7日)









国際交流

 小金井市に在職中のアフターファイブのボランテイア活動として20年間「国際交流」をお手伝いしてきた。英会話講座、中国語講座、日本語l講座、セミナーの開催、ホームステーやホームビジットのアレンジなど多くの家族や外国人とお付き合いができた。「国際交流」という小金井国際交流会の機関紙125号が送られてきた。100号までは私も編集に携わっていたが、その後5年を経過して記事の一つひとつに顔が浮かんで懐かしい。
 山口に帰っても「国際交流協会」とのご縁ができ、山口大学の留学生と交流が始まった。
 市民菜園を協会の平田さんに世話役となって貰って貸し出し、留学生が耕作して苗を植えつける。本国で農業の経験を持つ留学生であるから、それぞれ一家言あって、お国柄がしのばれて面白い。アフリカ流、ベトナム流、オーストラリア流、トルコ流と勝手に呼んで楽しんでいる。果実はダンボール一杯持ち帰る。学生の本国から種子を取り寄せて、珍しい野菜農園にして、少量でも多品種の野菜を育てれば朝市でも喜んで貰えそうである。秋には皆で収穫祭を楽しもう。(2005年7月14日)









降れば降ったで

 今年は空梅雨で終わるのかと雨を乞い願いながら草取りに励んだ。
 漸く雷鳴が轟いて大雨が降りだした。「雨よ降れ」の記事が効いてきたと密かに思ったがそれほどの神通力はない。自然任せの「無手勝流」で、降れば降ったで溜まったパソコンの入力がまっている。別に急ぐほどのものではないと原稿だけはフォルダーに溜めておくと、いつの間にか山となる。2時間ばかり夢中になっているともう根気が続かない。気分転換にインターネットサイトに入り込む。これがまたテレビより面白い。「晴耕雨読」が「晴耕入力」でエロジジイのオタク生活がまだまだ続く。
 さてどうも温暖化による天候異変が気になる。地震も方々で発生する。千葉に住む息子に「地震の被害は?大雨はまだ続いている?」と首都直下型地震では、死者一万一千人、経済被害百十二兆円を想定し、学校も疎開し、最低3日分の飲食料を備蓄するよう政府は呼びかけている。台風も怖い。昨年日本に上陸した台風の数は観測史上最高だった。死者数千人、家を失う人10万人規模の「破壊的大災害」は60年代と最近の10年を比べると件数が2・3倍、被害額で7倍という。30年に一度と言う高温・大雨・冷夏の当たり年なのだろう。おかげで畑は水浸し。ほうれん草は根腐れで全滅。トホホ。(2005年7月21日)












ブログ

 メールの出来る人なら簡単に日記のように書き込むだけで作れる簡易ホームページをご存知だろうか?
 90年代後半に米国で誕生した舌を噛みそうな「ブログ」は、最初は大統領選挙でも活用され、日本では昨年頃からブームになってきた。総務省の調査によるとブログ利用者約335万人、2年後は2倍以上になると言われるほどの人気サイトである。ネット各社は新しい事業と位置づけて利用者獲得競争が激化しているという。一番の人気はライブドアの「ライブドアブログ」45万人が登録されて、続いて、「楽天広場」が、同じ趣味の人同士が利用する。「アメーバーブログ」は人気ランキングが発表され、出版化もされるという。「Gooのブログ」は雛形もあって携帯電話からも送れる。「はてなブログ」はじぶんのブログを自費出版できる。「ヤフーブログ」はフジテレビと連携して登録者を伸ばしているそうだ。確かに投稿者は様々で、面白い記事は本に出版されたり、映画化されたものも多々ある。「実録鬼嫁日記」や「電車男」「東京少女」は人気のヒット作品である。各社は広告収入が伸びることや電子商取引への応用で新事業を展開する。私も「道男の随筆」に「ブログの作り方」を載せている。私のホームページやブログに感想をお寄せ頂くとありがたい。(2005年7月28日)












林道整備

 地図を見ると朝田川の我が家から吉敷畑の大峠トンネルが真北に位置する。
 場所を鳥瞰するためジープを駆ってこの付近では一番高い西鳳翩山(742メートル)に上がってみた。榾木山に続いて小郡の町並みが見え、その向こうに山口湾・阿知須方面と続き、周防灘が広がる。大峠トンネル付近から南に築紫山に向かう林道が連なっている。右に鼓ヶ岳、左に桂ヶ岳(522メートル)の間の山道を抜けると傍示(ほうじ)という集落がる。そこから山椒峠を下ると吉敷の竜蔵寺に出る古い山道がある。山椒峠から南へは尾根を伝わって七曲から阿仙原に出る。
 森林が外国産の木材に押されて手入れをする人も居なくなった現在。植林された森が荒れるに任せて、入山する人も居なくなった。森林を癒しの財として市民に開放すれば、森林浴やレクリエーションの場として蘇るであろう。現在造成中の太良郷インターチェンジを基点に河内、馬庭、阿仙原を抜けて築紫山に至る遊歩道を整備すれば、維新公園から一周10キロのハイキングコースがとれる。既に鳳翩山公園林道があるし、阿仙原までは林道が整備されている。その間の5キロ程度を整備すれば多くの市民が楽しめよう。林業農家には山の手入れに入山できるし木材価値もでるので、多少の負担金があっても地主の賛成者は多い。(2005年8月4日)










戦後60年


 戦後60年を迎えた。終戦の日は小学校1年生であったので暑い夏だったという記憶しかない。戦争が終わったという感慨は子供には分からなかったが、空襲警報のサイレンに怯えることもなく、電灯を黒い布で覆うこともなくなった。
 阿仙原の山中から防府の街を見ると山の向こうが真っ赤に燃えていて、サーチライトの光が夜空に舞う風景や飛行機の空中戦に怯えることもなくなった。
 高い空から撒かれるアルミのキラキラ光る箔やビラももう見ることは無かった。大歳小学校の校庭は掘り返されて芋を植えていた。渡り廊下には本土決戦を控えて高射砲が据えられていたがそれもいつの間にか撤去され、奉安殿も解体された。教科書は新聞紙大の束が配られ、自分で切って墨で所々塗りつぶす作業を強いられた。
 「大歳小学校百年史」によると、国民学校は小学校に変わり(22年)新しく3年過程の中学校が湯田駅前に開校された・当時問題解決学習が指導要領に盛られ、机の並べ替え、買い物、子供銀行の実践も行われた。教育方針は@新日本建設の気迫高揚A民主学校の樹立B科学的生活の育成で、児童中心、引き出す教育、社会との連携強化が取り入れられることになった。学校給食開始(22年)も思い出深い記憶である。(2005年8月11日)